セロ弾きのゴーシュ スタッフ

主なスタッフ紹介

 脚色と演出には、長編「火垂るの墓」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ となりの山田くん」や 「アルプスの少女ハイジ」をはじめとする世界名作アニメーションの数々を監督した高畑勲
があたり、原作の内容と味わいを損うことなく、本格的日本名作まんが映画を実
現しました。
 キャラクターデザイン・レイアウト・作画は、「アルプスの少女ハイジ」などの原画を担当し、「機関車先生」「MARCO 母をたずねて三千里」の劇場用長編で作画監督をつとめるなど実力には定評のある才田俊次。原作からイ
メージしたどこか素朴でユーモラスな味のあるキャラクターを実に楽しく躍動さ
せました。また、楽器演奏の描写という難題に、セロの奏法まで学び、見事にこ
れを表現しました。この作品のすべての原画(キー・アニメーション)は彼一人が書いたものです。
 美術は、長編「銀河鉄道999」「幻魔大戦」などの美術監督をつとめ
、斯界の第一人者となりながら惜しくも92年に54歳の若さで急逝した椋尾篁が
これまた一人でほぼ全カットを描きました。やわらかで気品のある日本的な画調に、光
と影の微妙な遠近法を加えて独特の世界を創出し、今までなかった全く新しい境
地をきりひらきました。
この作品のプロデューサーとして総指揮にあたったのは、オープロダクション社長でもある村田耕一。アニメーターとして別の作品で活躍しながら、スタッフをよくまとめあげました。
 彼を支え、「ゴーシュを今作るべし」と強力に推進したのはトップ・アニメーターとして知られた小松原一男。「銀河鉄道999」や「風の谷のナウシカ」のメインスタッフであった彼ですが、この作品では自ら描くことなく裏方に徹しながらオープロダクションが全体として製作に参加するように指導したのです。
「インドの虎狩り」「愉快な馬車屋」など、ゴーシュが動物たちに弾いてみせる
激しくまた
ユーモラスなセロの曲を作曲し、田園交響曲の編曲指揮にあたったのは、日本を
代表する
現代作曲家の一人間宮芳生で、アニメーションではすでに「太陽の王子ホルスの大冒険」「火垂るの墓」等で素
晴らしい
歌と音楽をのこしています。
 尚、タイトルバックでうたわれる「星めぐりのうた」は、宮沢賢治作詞作曲の佳篇、
これがきっかけでもっと広くうたわれるようになってほしいものです。


●高畑勲 (演出)
1935年10月29日三重県宇治山田市(現伊勢市)に生まれ、'43年父の転勤に伴い岡山市で育つ。'59年、東京大学文学部を卒業し、東映動画(株)(現東映アニメーション)へ入社。「わんぱく王子の大蛇退治」などの演出助手をつとめる。TVシリーズ「狼少年ケン・第14話ジャングル最大の作戦」が演出第1作。'68年には初の劇場用映画「太陽の王子・ホルスの大冒険」を手がける。以後、「パンダコパンダ」「パンダコパンダ雨ふりサーカスの巻」などの劇場用作品、「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」「赤毛のアン」などのテレビアニメ・シリーズを監督。宮崎駿監督等とスタジオ・ジブリ創設に参画し、「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」をプロデュースする他「『ホルス』の映像表現」「映画を作りながら考えたこと」「木を植えた男を読む」「十二世紀のアニメーション」など著作も多数ある。'98紫綬褒章を受章。
(主な作品)
「じゃりン子チエ」「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」「平成狸合戦ぽんぽこ」「ホーホケキョ となりの山田くん」
●村田耕一 (プロデューサー)
1939年4月5日新潟県刈羽郡に生まれる。農業、中華料理店、おでん材料製造、人形卸商などさまざまな職業を経て、'63年アナグマプロダクションに入社、アニメーターとなる。ハテナプロなどを経て、'70年小松原一男らと共にオープロダクションを設立する。「タイガーマスク」「アタックNo.1」などの作画監督を初め、「アルプスの少女ハイジ」から「名犬ラッシー」にいたる世界名作シリーズのメインスタッフとして活躍する。オープロダクション前・代表取締役社長。 2006年11月7日永眠。
(主な作品)
「荒野の少年イサム」
「赤銅鈴之助」
「フランダースの犬」
「ふしぎな島のフローネ」
「南の虹のルーシー」
「中華一番!」...他
●才田俊次 (キャラクターデザイン・原画)
 1949年7月5日熊本県山鹿市に生まれる。漫画家になるべく水木しげる、赤塚不二夫の門を叩くが断られる。撮影、彩色のアルバイトを経て、'70年オープロダクションに入社し、小松原一男、村田耕一に師事する。「タイガーマスク」の原画で頭角を現し、以後劇画タッチの作品から「ロミオの青い空」世界名作シリーズなどのソフトなタッチまで幅広い作品をこなす。「小公女セーラ」で初のキャラクターデザイン&作画監督。この「セロ弾きのゴーシュ」では原画の全てを一人で作画した。
(主な作品)
「赤銅鈴之助」
「じゃりン子チエ」
「アルプスの少女ハイジ」
「母をたずねて三千里」
「赤毛のアン」
「未来少年コナン」
「さよなら銀河鉄道999〜アンドロメダ終着駅〜」
「かばのポトマス」
「機関車先生」
「MARCO 母をたずねて三千里」(劇場長編)
「ちびまる子ちゃん」...他
●椋尾 篁 (背景美術)
1938年1月1日、長崎県佐世保市に生まれる。'63年、虫プロに所属していた先輩・半藤克美の誘いで背景の世界へ。'63年、武蔵野美術学校洋画科を卒業。'64年、半藤とともに東京ムービーへ入社。'71年、ムクオ・スタジオ設立。'83年、りんたろう、丸山正雄らが設立したプロジェクトチーム・アルゴスに役員として参加し、「カムイの剣」などに構想段階から参画する。東映動画、日本アニメーション、マッドハウスなどの代表的なアニメ作品の美術監督を多数手がけ、アニメ美術の第一人者として活躍した。'92年6月9日、54歳の若さで病没。
(主な作品)
'76「母をたずねて三千里」
'78「宇宙海賊キャプテンハーロック」
'79「銀河鉄道999」
'80「がんばれ元気」
'81「さよなら銀河鉄道999〜アンドロメダ終着駅〜」
'82「吾輩は猫である」
'83「幻魔大戦」
'88「三国志〜英雄たちの夜明け」...他

●小松原一男 (企画)
1943年12月横浜市生まれ。'64年に東映動画が設立した動画養成所へ入り、「狼少年ケン」「宇宙パトロール・ホッパ」などの作画に加わる。ハテナプロ等を経て、'70年友人達とオープロダクションを設立する。'69年の「タイガーマスク」から作画監督となり、主に東映動画の作品で精新なタッチのアニメーションを発表。その高い技術は、フランスで大ヒットした「UFOロボグレンダイザー」等のロボットアニメ、「銀河鉄道999」などの松本零士原作アニメから宮崎駿の「風の谷のナウシカ」まで、日本アニメーション史を飾る多彩な作品をヒットに導いた原動力となった。
2000年3月24日永眠。享年56才。
(主な作品)
'72 デビルマン
'74 ゲッターロボ
'76 マグネロボ ガ・キーン
'77 宇宙海賊キャプテンハーロック
'81 さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅
'88 はれときどきブタ
'95 ユンカース・カム・ヒア
'98 チャイニーズゴーストストーリー小倩
'98 蓮如物語 Rennyo ...他


●間宮芳生 (音楽)
1939年6月29日北海道旭川市生まれ。'48年東京音楽学校(現東京芸大)作曲科に入学、'52年卒業。作曲を池内友次郎氏に師事。'53年、林光・外山雄三とともに「山羊の会」を結成、作曲家としての活動を開始。文化庁芸術祭大賞、芸術祭優秀賞、毎日音楽賞、尾高賞、ザルツブルグ・テレビオペラ賞金賞など数多くの賞を受賞。
東京芸術大学講師、高崎短期大学音楽科教授、学科長などを歴任。現在は桐朋学園大学講師、静岡音楽館AOI館長・芸術監督などをつとめながら、第一線で活発な創作活動を続けている。'92年には紫綬褒章、'99年に勲四等旭日小綬章受章。
(映像分野における主な作品)
「太陽の王子ホルスの大冒険」
「たすけあいの歴史」「草原の子テングリ」
「火垂るの墓」
「橋のない川」「婉という女」
「マヨコに雪が降る」...他

ゴーシュページのメニューに戻る
メイン・メニューに戻る