宮沢賢治
(1896−1933)

詩人。童話作家。1896年(明治29年)8月27日、岩手県稗貫(ひえぬき)郡花巻町に生まれた。
盛岡高等農林学校研究科卒業。卒業後は土性調査に従事したが、1921年(大正10年)上京し筆耕、校正等の仕事をしながら<法華(ほけ)経>の宣布に努めたが、妹の病のため帰郷、稗貫農学校教諭となった。
今日のこされている童話の大部分は上京中に起稿または構成された。帰郷後は作詞、作曲、劇作に打ちこみ,学生たちの生活にとけこんで自作を合唱したり上演したりした。
1924年には詩集「春と修羅(しゅら)」、童話集「注文の多い料理店」を自費出版した。教職を辞してからも、農耕のかたわら農業科学や農民芸術の研究や講議にあたり、また砕石工場の技師生活をしながら、宗教と自然と科学の融合された独自の素材をうたいあげることにつとめた。
「雨ニモマケズ」「永訣(えいけつ)の朝」などの詩400余、「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「グスコーブドリの伝説」などの童話100余、「農民芸術概論綱要」の論文、および中学時代以来の短歌800余がある。童話では、「注文の多い料理店」にみられるような放恣な都会人への批判、「鹿踊りのはじまり」にみられるような岩手の土の臭いに満ちた人間性回復の願い、「かしはばやしの夜」などにみられる色彩豊かな幻想、「雁の童子」にみられるような宗教的香気、「やまなし」などの繊細なリリシズム、これらの全編を通じてみられる豊かなユーモアとヒューマニズムによって、日本の文学に特異な世界を開いた。
賢治の作品は、作者の死後、実弟の宮沢清六や、草野心平、谷川徹三らの努力によって世に伝えられ、たちまち多くの人々の心をとらえたが、その死後60年になる今日もまだ、その文学世界の真の意義は十全に解き明かされたとは言い難く、多くの課題を今後に残している。
                    
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