オープロダクションのあゆみ 設立前後

設立より37年間居続けた天沼のカサローザマンション
1963年TVアニメーション「鉄腕アトム」が始まり アニメーション(以下アニメと略す)の大量生産の時代 に入る。
とうてい、大手アニメ製作会社社内のみでは作品を作り続けることはできず、各社は、引き抜き、引き止めのための単価のつり上げを図り、人材の確保につとめた。 作り手達の中には他社の作品の内職をする者も現れ、 かなりの収入になった者もいたと言う。
結果、多くのフリーランスを産み、下請け化が進むこと となった。
1970年5月、いくつかのプロダクションを渡り歩いた 4人のアニメーター、塩山紀生、村田耕一、小松原一男、 米川功真によって、オープロダクション(以下オープロ  と略す)が設立される。               オープロ全体としては、原動画マン合わせて2人で出発する。その年のうちに才田俊次、オープロに参加。
当初、東映動画班、Aプロダクション(東京ムービーの 下請け会社)班の二班体制で運営される。
東映班は、小松原が中心となり、Aプロ班は、村田が中心となって、30分の作品の原画、動画をこなしていた 。
村田が作画監督をしていた回の「アタックNo.1」 の主人公鮎川こずえの絵が好きで、色紙を持ってオー プロを訪ねて来た某有名アニメーターの逸話がある。

アニドウの会報にのったオープロの面々(柳瀬譲治・画)

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