オープロのあゆみ 4 さらなる訃報

作品年度 日本アニメーション班作品 その他の作品 その他の作品
2001 「ちびまる子ちゃん」
「メトロポリス」
「千と千尋の神隠し」
2002      〃    
2003      〃 「ドラえもん のび太とふしぎ風使い」 「ハウルの動く城」
2004      〃 「ななみちゃん」
「ドラえもん のび太のワンニャン時空伝」
「犬夜叉」
2005      〃    
2006      〃
レ・ミゼラブル 少女コゼット」
「 それいけ!アンパンマン うたおう!おどろう!みんなのクリスマス 「時をかける少女」

2006年(平成18年)11月7日、代表取締役社長・アニメーター、村田耕一が くも膜下出血のため永眠。67歳。テレビアニメの創世記よりアニメーター、作画監督として活躍。1970年に作画専門の(有)オープロダクションを設立。1980年代東映動画、東京ムービー、日本アニメーション(世界名作シリーズ)など各社のテレビシリーズの作画を手がけ、小松原一男、才田俊次等と多くの作品に参加して日本のアニメーションの発展に貢献した。また、37年の長きにわたり多数の人材を輩出し、現在のアニメーション界に働くものの中で同社出身者は特に多い。「ルパン三世」「赤胴鈴之助」「アルプスの少女ハイジ」「母をたずねて三千里」など一連の高畑勲・宮崎駿作品の中心メンバーとして参加し、現在のスタジオジブリ設立への原動力ともなった。1982年には高畑勲を自社に招いて宮沢賢治原作の「セロ弾きのゴーシュ」(大藤信郎賞受賞)を5年がかりで自主製作するなどプロデューサーとしても活躍した。

村田耕一を継いで、オープロのアニメーターをする傍ら、研究家としても活動していたアニドウ代表なみきたかしが社長に就任。自らはマネージメント業と位置づけ、実質的な作画部門のリーダーは、社を離れていた才田俊次が復帰し後進の指導にあたるという新体制がスタートした。

2007年、長年住み慣れた荻窪・天沼の本社スタジオのマンションが改築されるのを期に、南口に転居。新しいスタートを切りました。翌年には第二スタジオも設立。
現在、若手アニメーターが増え新しい世代が育ちつつあるところです。
また2010年3月より、ちょっと駅から離れていた第二スタジオを駅前に移転しました。
作品年度 日本アニメーション班作品 その他の作品 その他の作品
2007 「ちびまる子ちゃん」 「河童のクゥと夏休み」
「なんのこれしき ふろしきマン」
「忍たま乱太郎」
「宇宙エレベータ〜科学者の夢みる未来
2008      〃 「つみきのいえ」
「のらみみ」
 
2009      〃
「こんにちはアン」
「あたしンち」
「ルパン三世VS名探偵コナン」
「マイマイ新子」
「サマーウォーズ」
2010 「ちびまる子ちゃん」 「映画ドラえもん のび太の人魚大海戦」
「ななみちゃん」スポット
「ご姉弟物語」
「宇宙ショーへようこそ」
「カラフル」

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